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バブル時代の回顧

1980年代から1990年代のバブル時代の事を書いて行きます

80年代、バブル時代の流行店だった江坂カーニバルプラザ 大阪府吹田市

      2018/11/16


1980年代に大阪府吹田市の江坂にあったレストラン

江坂レストランカーニバルプラザ

といっても関西圏の人しかわからないと思うが
1983年に紡績工場跡地に作られ開業し

その当時は日本一大きいレストランと紹介していた

元々は大正7年から昭和50年代後半まで現役で操業していた紡績工場の

その大正ロマンの香り漂う煉瓦造りの建物がそっくりそのまま大変身し

当時の内外壁や柱を残しアーリーアメリカンインテリアをまとい

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広さ2.442平方メートルの日本一広いレストランカーニバルプラザになった

それまでには日本には無かった外国のレストランようなカーニバル的な

雰囲気で当時はかなり珍しかった

画像も懐かしいバブル期は豪華なシャンデリア付きのバブリーなバスで

豪華な旅を企画して走り回っていた今は無き中央観光バス

それまで平屋の1棟たてとして日本一を誇っていた札幌ビール園を上回った

敷地内には江坂ゴルフセンター、江坂テニスセンター、江坂ベースボールセンター

レストランカーニバルプラザ、ホテルプラザ 中華料理 エスカミューズ

これらの総合施設を人、スポーツ、文化・・・出会いの広場として

14万平方メートルのアメニティフィールドはアメニティ江坂と呼ばれた

レストラン自体の規模もかなり大きいがそれほど広大という程ではない

駐車場などの施設も入れた全体的な敷地面積でだろう

(当時の江坂カーニバルプラザのパンフレット)

初期のパンフレットには後からレストランの受付を待つ間の暇つぶしに出来た

カーニバルプラザ前にはモニュメントは無く芝生の庭のみ

数年後にはカーニバルプラザ前にモニュメントが出来る

まずは帆船をかたどった風時計がウェルカムを告げてくれる

8,844平方メートルのアメリカンスケールは

まさにカーニバルなレストランだった

カーニバルの太陽、踊り、仮面、人間をイメージしたシンボルマークは

太陽の塔のでデザインで知られる岡本太郎氏

初期の頃は新聞もあったようで出てきた

蟹威張ル!自分の持ってるのは新聞創刊号

見開きの1枚ものだが自分のストックはこれのみ

これ以降もあったのかな?

カーニバルプラザの入口を入るとアーリーアメリカン調の別世界

薄暗い店内には真ん中に川があり橋がかかっていた

その奥には海外の雑貨ショップ

似顔絵コーナーに

薄暗い店内にマッチしたろうそくの灯りが灯る占いの館

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まさに室内テーマパークだった

飲食ホールは3つのホールに別れ

蟹がメインのシーフードホール465席、

ダンジネスクラブなど世界の蟹と新鮮なサラダバー

肉メインのバーベキューホール265席、

柔らかなスプリングラム(子羊)と工場直送ビールの大ホール

飲み物メインの港のラウンジ170席、

アメリカの漁師町にいるような雰囲気でお酒とオリジナルハンバーグ

世界のカニや当時はまだ珍しかった海外製のバラエティグッズが溢れる

おみやげマーケットの港の市場

サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフの面影をインポートしている

世界のお菓子やグッズも販売している

店内は絶えずわいわいがやがや賑やかだった

その中でも店内を活気溢れる物にしたのは店内をたえず外人の長身のピエロと

正装仮装した楽器演奏隊が演奏しながら

店内を歩き回り、テーブルを周り、誕生日と店に知らせると花火のカクテルに

楽器演奏隊がハッピーバースデートゥーユーを生演奏してくれ拍手が起こる

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目立つので他のテーブルから注目を浴びかなり恥ずかしい時もある(^_^;)

仮装したポラロイド・カメラマンもいてテーブルを回ってきて

記念写真をどうですか?と有料で400円だった

これは1度も頼んだ事がないが当時は今のようにスマホで

写真を撮りまくる時代でなかったし

普段カメラなど持ち歩く習慣も無い時代だから

まあ子供連れやカップルなら記念になるかな

そしていつも店の外の木にはイルミネーションが飾られ夜は綺麗だった

マーケット が数店並びそれぞれにイルミネーション

ウィークエンドにはフリーマーケット も立ち並ぶのでウォーキングも楽しめる

ここに来れば年中お祭りムード、クリスマスのような雰囲気のとこだったので

近場の大阪なのにいつもワクワクした

最盛期の週末には順番が来るまで2~3時間待ちという事もあったが

待っていてもここに居るだけでもワクワクする空間だった

後に庭にリニュー・ブランシュの庭という

迷路のようなオブジェやモニュメントも出来た

カーニバルプラザ前の白い丸い迷路のような物、でも確か中は入れなかったような

リーニュ・ブランシュの庭がカーニバルプラザ前に完成

さらにお洒落な空間は増え待ち時間も楽しませた

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近くの同じ時期にオープンした関西では初めての江坂の東急ハンズ

と共に80~90年代半ばまでの

北大阪のデートコースには欠かせない場所だった
たいがいの女子はここに連れていくと喜んでくれた

駅までの送迎用の派手なバス、これも敷地内でよく見た 

20分おきに運行された、1度乗りたかった

レストラン周辺にはクレープバーや

タコスバー週末は40店舗のフリーマケットが並ぶ

親類などと行く時は蟹メインのシーフードホールだった

港のラウンジは横の池にラジコンの船が浮かべてあり
屋内の天井は雨や雷鳴、夕焼けなどの自然現象の音と光でランダムに演出されていた

夕焼けになった橋

大阪文化服装学院主催のファッションショーも行われた

少し薄暗くムードがあるので女子連れの時はここだった

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この港ラウンジにはステージもあり1987年2月に当時人気の歌番組のTBSザ・ベストテンで

近藤真彦が「愚か者」を歌って生中継された事もあった

バブル時は大阪では梅田、東大阪などにも支店を出した

80年代にあった江坂カーニバルプラザの姉妹店カーニバルプラザ東大阪店はメリーゴーランドが乗れた

千葉にもバブル時代らしく900席という

超巨大なサーカスレストランとしてオープンしている

そんなバブル時代を盛り上がってたアミューズメントのような

江坂カーニバルプラザレストランも

2008年に施設老朽化を理由に取り壊されたようだ

自分も2000年以降はやや遠ざかっていたので

取り壊されてからこの事を知った

そして今はどうなっているのか久々に跡地を訪ねてみた

80年代バブル時代にあった江坂カーニバルプラザの跡地は今

 

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