80年代の流行店 バブル時代の夢の跡 大阪府

80年代、バブル時代に流行店だった江坂カーニバルプラザ 大阪府吹田市

投稿日:2012年5月17日 更新日:


1980年代に大阪府吹田市の江坂にあったレストラン

江坂レストランカーニバルプラザ

といっても関西圏の人しかわからないと思うが

1983年に紡績工場跡地に作られ開業し

その当時は日本一大きいレストランと紹介していた

元々は大正7年から昭和50年代後半まで現役で操業していた紡績工場の

その大正ロマンの香り漂う煉瓦造りの建物がそっくりそのまま大変身し

当時の内外壁や柱を残しアーリーアメリカンインテリアをまとい

広さ2.442平方メートルの日本一広いレストランカーニバルプラザになった

それまでには日本には無かった外国のレストランようなカーニバル的な

雰囲気で当時はかなり珍しかった

画像も懐かしいバブル期は豪華なシャンデリア付きのバブリーなバスで

豪華な旅を企画して走り回っていた今は無き中央観光バス

それまで平屋の1棟たてとして日本一を誇っていた札幌ビール園を上回った

敷地内には江坂ゴルフセンター、江坂テニスセンター、江坂ベースボールセンター

レストランカーニバルプラザ、ホテルプラザ 中華料理 エスカミューズ

これらの総合施設を人、スポーツ、文化・・・出会いの広場として

14万平方メートルのアメニティフィールドはアメニティ江坂と呼ばれた

レストラン自体の規模もかなり大きいがそれほど広大という程ではない

駐車場などの施設も入れた全体的な敷地面積でだろう

(当時の江坂カーニバルプラザのパンフレット)

初期のパンフレットには後からレストランの受付を待つ間の暇つぶしに出来た

カーニバルプラザ前にはモニュメントは無く芝生の庭のみ

マキシムの浄水器、マーマー21 MJ100は 天然石を含む業界初の10層構造で電気を使用しない浄水器なので 災害時などの突然の停電時にも使用可能です 0年間カートリッジ交換不要(10万リットル分!)だから 家族の飲水、食器洗いで1日25リットル使っても1日100円 (定価388000円での計算)と経済性も抜群! 公益社団法人日本水道協会(JWWA)委託試験所である 一般財団法人関西環境管理技術センター で水質テストにより安全性が確認されています

詳しくはマーマー21の商品ページへ

 

数年後にはカーニバルプラザ前にモニュメントが出来る

まずは帆船をかたどった風時計がウェルカムを告げてくれる

8,844平方メートルのアメリカンスケールは

まさにカーニバルなレストランだった

カーニバルの太陽、踊り、仮面、人間をイメージしたシンボルマークは

太陽の塔のでデザインで知られる岡本太郎氏

初期の頃は新聞もあったようで出てきた

蟹威張ル!自分の持ってるのは新聞創刊号

見開きの1枚ものだが自分のストックはこれのみ

これ以降もあったのかな?

カーニバルプラザの入口を入るとアーリーアメリカン調の別世界

薄暗い店内には真ん中に川があり橋がかかっていた

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その奥には海外の雑貨ショップ

似顔絵コーナーに

薄暗い店内にマッチしたろうそくの灯りが灯る占いの館

まさに室内テーマパークだった

飲食ホールは3つのホールに別れ

蟹がメインのシーフードホール465席、

ダンジネスクラブなど世界の蟹と新鮮なサラダバー

肉メインのバーベキューホール265席、

柔らかなスプリングラム(子羊)と工場直送ビールの大ホール

飲み物メインの港のラウンジ170席、

アメリカの漁師町にいるような雰囲気でお酒とオリジナルハンバーグ

世界のカニや当時はまだ珍しかった海外製のバラエティグッズが溢れる

おみやげマーケットの港の市場

サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフの面影をインポートしている

世界のお菓子やグッズも販売している

店内は絶えずわいわいがやがや賑やかだった

その中でも店内を活気溢れる物にしたのは店内をたえず外人の長身のピエロと

正装仮装した楽器演奏隊が演奏しながら

店内を歩き回り、テーブルを周り、誕生日と店に知らせると花火のカクテルに

楽器演奏隊がハッピーバースデートゥーユーを生演奏してくれ拍手が起こる

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目立つので他のテーブルから注目を浴びかなり恥ずかしい時もある(^_^;)

仮装したポラロイド・カメラマンもいてテーブルを回ってきて

記念写真をどうですか?と有料で400円だった

これは1度も頼んだ事がないが当時は今のようにスマホで

写真を撮りまくる時代でなかったし

普段カメラなど持ち歩く習慣も無い時代だから

まあ子供連れやカップルなら記念になるかな

そしていつも店の外の木にはイルミネーションが飾られ夜は綺麗だった

マーケット が数店並びそれぞれにイルミネーション

ウィークエンドにはフリーマーケット も立ち並ぶのでウォーキングも楽しめる

ここに来れば年中お祭りムード、クリスマスのような雰囲気のとこだったので

近場の大阪なのにいつもワクワクした

最盛期の週末には順番が来るまで2~3時間待ちという事もあったが

待っていてもここに居るだけでもワクワクする空間だった

後に庭にリニュー・ブランシュの庭という

迷路のようなオブジェやモニュメントも出来た

カーニバルプラザ前の白い丸い迷路のような物、でも確か中は入れなかったような

リーニュ・ブランシュの庭がカーニバルプラザ前に完成

さらにお洒落な空間は増え待ち時間も楽しませた

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近くの同じ時期にオープンした関西では初めての江坂の東急ハンズ

と共に80~90年代半ばまでの

北大阪のデートコースには欠かせない場所だった
たいがいの女子はここに連れていくと喜んでくれた

駅までの送迎用の派手なバス、これも敷地内でよく見た 

20分おきに運行された、1度乗りたかった

レストラン周辺にはクレープバーや

タコスバー

週末は40店舗のフリーマケットが並ぶ

親類などと行く時は蟹メインのシーフードホールだった

港のラウンジは横の池にラジコンの船が浮かべてあり
屋内の天井は雨や雷鳴、夕焼けなどの自然現象の音と光でランダムに演出されていた

夕焼けになった橋

大阪文化服装学院主催のファッションショーも行われた

少し薄暗くムードがあるので女子連れの時はここだった

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この港ラウンジにはステージもあり

1987年2月に当時人気の歌番組のTBSザ・ベストテンで

近藤真彦が「愚か者」を歌って生中継された事もあった

バブル時は大阪では梅田、東大阪などにも支店を出した

80年代にあった江坂カーニバルプラザの姉妹店カーニバルプラザ東大阪店はメリーゴーランドが乗れた

千葉にもバブル時代らしく900席という

超巨大なサーカスレストランとしてオープンしている

1980年代に江坂に出現した江坂カーニバルプラザのオープン裏話 1993年

そんなバブル時代を盛り上がってたアミューズメントのような

江坂カーニバルプラザレストランも

2008年に施設老朽化を理由に取り壊されたようだ

自分も2000年以降はやや遠ざかっていたので

取り壊されてからこの事を知った

そして今はどうなっているのか久々に跡地を訪ねてみた

80年代バブル時代にあった江坂カーニバルプラザの跡地は今

 

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  1. 通りすがりの1981年生まれ より:

    昔行ったカーニバルプラザがまだあるかな?とふと思い、調べた所こちらのページにたどり着きました。
    今から丁度24年くらい前、私が中3に入って少しの時軽い気持ちで2泊3日の家出をした事がありました。
    軽い気持ちだったので悪びれた気持ちもなく普通に夕方位に家に帰ると、親から怒られる事もなく、そのまま家族で食事に行ったのが初めてで最後のカーニバルプラザでした。
    食事している際にカメラマンがテーブルにやってきて写真を勧めてきた際、父親が笑顔で「撮ってもおらおう!記念の日やから!」といって家族で写真を撮ってもらったのを覚えております。(その時は家出したのに「何が記念だ?」とずっと思っておりましたが、今思えば親は「木の上に立って見る」という当時の父の心の持ちようが理解できます。)
    その時に撮ったポラロイド写真は、頂いた時の紙枠に入ったまま今も実家のキャビネットのガラス越しに飾られています。
    バカ息子がバカをして帰って来た日に、そんな息子と沈んだ気持ちの家族を活気づけようと思い、カーニバルプラザという場所を選んで連れて行ってくれた父に感謝しております。

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